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2011-09-08(Thu)

ちょこちょこっとした話 16

16『透きとおった…』


宮本輝さんの『泥の河』を久々に読んだ。

電車の中、何度も目頭が熱くなり、手が震えて困った。

私は読書家でも文学通でもなく、まして学者や評論家でもない。
けれども素人ながら、文章を書くとは、物を語るとは、かくあるべきだなぁ~、と心底感じた。

物語の組み立て、人物の心理描写…必要なすべてがあり、余分なものは無く…。

これが賞を獲れないなら、なにが獲る?!…な~んてね、思いこみ強いんです、私。

それから、宮澤賢治さんの『ひかりの素足』を読んだ。

これも久々に。

驚くべき感性!描写の、言葉の、表現の独創的なこと!

確かに、お話の中で子供たちの眼に映る影像の数々は賢治さんが書いた通りで、しかも賢治さんが書いたように書こうとは誰も思わない。

それが心理描写にまでつながってる!

ひとりひとり、全員の気持ちや感じていることが、染み入るように伝わって来る。

そうして、作者の心持ちが透きとおって見えて来る。
透きとおっているから、ちっとも邪魔にならない。
賢治さん、きっと、楽しい場面はウキウキしながら、辛い場面は苦しみながら、哀しい場面は胸を痛めながら書いたであろう。


『必要なすべてがある、余分なものはない、透きとおった存在でいる』

同じく表現する者、創造活動をする者として、かくありたいと思うのである。

では、また…
2011-07-24(Sun)

ちょこちょこっとした話 15

 15『にゃんこ先生たち』



毎日のことである。

我が家と、劇場や仕事の現場の道々、猫がいたりする。
名前は、ギョロ目ちゃんたち、猫屋敷の猫たち、モジャ二郎(ウンコねこ)、とっとこジュニア…。
犬もいる。
名前は、チロ、ワン…。

私達が、勝手に呼んでる名前ですけどね。

駅までの神田川沿いにはカモの親子連れがいる、鳩がいる、カラスがいる、雀、コサギ、亀、鯉、ヘビがいる。

お母さんに抱っこされた赤ん坊。
お爺ちゃん、お婆ちゃん。

花や草。
神田川、そして何より、空、太陽、月、星!

空ならば、どんな天気でも、たぶん一日中見ていられると思う。
 
 どうにも心が落ち着かない時、どれほどその先生たちに助けられたことか。
 
 
 ♪…目に映るすべてのことは、メッセージ…♪


それらの先生たちと、直接話していることもあり、先生たちを通して、自分と会話していることもある。
たぶん、後者のほうが多いかな。


人生、至るところに、先生たちがいる。

ありがとう、にゃんこ先生たち!


では、また…
2011-07-13(Wed)

ちょっとした話 31

31『ガリレオ』



「それでも地球は回っている」
…私が生まれた日から、ぴったり400年前、同じ誕生日(ユリウス暦ですけどね)のガリレオ・ガリレイさん… 
 
 …ではなく、テレビドラマです。福山雅治くんの『ガリレオ』。
映画版『容疑者χの献身』は、名作ではないでしょうかぁ!見たぁ~?!見ましょう!(鼻息!フゥ~!)


『スタニスラフスキー・システム』とは、『演劇を科学する』システムだと、私は考えてます。
又は、『人間を科学』する。

科学…なかでも『物理学』に近いのでは…。


「もっと、感情を込めてセリフを言わなきゃだめなんだョ~」
…とある夜…
…とある居酒屋で、とある先輩の《経験とカン》によるダメ出しが…。
「昔、俺がなんたらという役をやった時はョ~…ウィ~ッ。」

多くの日本の俳優の演技が、《経験とカン》に依っています…と、思います。
そうすると実は、俳優には、還って行くところが無くなる。
つまり、「なぜ上手くいったのか、なぜ上手くいかなかったのか」「どうすればより良くなるのか」わからない。
センパイの《経験とカン》の話だけでは、検証するための《手段》が曖昧だからです。

(経験によって、独自の理論を確立している方もいらっしゃるとは思いますが…。)

「もっと感情を込めて!」
……あぁセンパイ、どうやったらその《感情》が現れてくるのか、そこを話してくれないと……センパイ!

「…だ、台本を読めばわかるんだよ。」

…ん~、微妙~。

センパイの口からは、実際の行動でたしかめられる具体的な《材料》と、その《根拠》は出てこないわけです。

そして今夜も、あちこちで、居酒屋談義が繰り広げられてゆくのでした…。


アニシモフ氏いわく、

…「人間の行動には、必ずなんらかの《理由》があります。」
…内的理由、外的理由。


ガリレオ(福山君)いわく、
…「あり得ない?いや、そんなことはない。」

つまり、起こった(もしくは、起こったと皆が信じている)全ての出来事には、起こるべき(信じてしまう)理由がある。
だから「あり得る!」、ということです。

「物理学のプロセスは、仮説を立て、それが正しいかどうかを実験によって検証し、理論を発見する(打ち立てる)。」
(ドラマの中で語られる、物理学の方法論)


スタニスラフスキー・システムと似ている!…と、私が思ったのはそこです。

私達も、分析の中で見つけた行動(仮説)が有効かどうか、リハーサルや本番の舞台で試して(実験)、検証し、立証する。

行動してみたが《感情》が現れないなら、仮説(見つけた行動)は不完全で、《貫通行動》にまで行き着けない。

再度、分析を見直すことになります。
一見、面倒くさいようですが、戯曲と役のラインに基づいたアプローチなので、俳優は「どこを見直すか」という改善点、つまり還っていくポイントを見失わずにすみます。

スタニスラフスキー・システムが科学的であること、なんとなく伝わりましたかね~。


ちょい長くなりましたが、この《科学的真実》の具体的な積み重ね=《横糸》に、俳優の各《人間性》=《縦糸》が織り込まれ、驚くべき芸術の瞬間が現れるのです。


居酒屋談義より、少しは具体性をもって、次の日を迎えられますね!


では、また…
2011-05-08(Sun)

ちょっとした話 30

30 『相手』


アニシモフ氏、よくいわく、
「(日本語で)相手、相手、相手!」


目の前にいる相手を忘れてるよ~、ということ。


目の前に生きた人間がいることを、忘れる?…そんなことがあるのか?
……これが、よーく起こるんです、舞台上では。


日常では、そうですね~゛上の空゛の時にそうなりますかねぇ。

舞台上での゛上の空゛は、どんな風に起こるか……
…興味(意識)が、自分だけに向くと、相手を見失います。

それも、

「私は、うまい演技できるだろうか」
「私を、演出家は誉めてくれるだろうか」
「私は、お客さんにウケるだろうか」

…みたいな意識に囚われると《心配と緊張》が現れて、とたんに目の前の生きた相手を見失ってしまいます。
《交流》の糸が、切れてしまうのです。



何かに夢中になっている人の《行動》を見るのは、たいへん面白い。

特に、今、目の前で起こっていることや、相手に対して夢中になっている、つまり、《我を忘れて》何かに夢中な人の《行動》ほど、面白い。

真摯で、個性的で、真っ直ぐで、時に滑稽で暖か、時に辛辣で鋭い、とにかくその人にしかやれないような、独創的な《行動》で立ち向かって行きます。

ところが、自分のことを考えている人の《行動》は、あまり面白くない。
自分のことばっかり話す人、いますよね。
ま、誰しも(あたくしも)そういうトコありますけど…。


それは、俳優の場合《結果》のことを考えているのに、他なりません。
目の前の相手を飛び越えて、外側のだれかの《評価》を求めることだからです。


俳優同士の《交流》の糸が切れたら、観客には、見るものがないのです。



モーガン・フリーマンへのインタビュー。

Q「あなたにとって、相手役の存在は何%ですか?」
A「(即答)100%です。演技とは、リアクションのことです。」


以前にも書きましたが、マーロン・ブランドの言葉
…「私は演技しない。ただ反応するだけだ。」


あぁ、こんな簡単なことが、当たり前のことが、なんとむずかしいのでしょうね。


では、また…
2011-05-01(Sun)

ちょっとした話 29

29『ある日の、三時間…冷や汗とともに…』


震災後、久々の公演。
本番前に、一幕だけ、通し稽古をやることになりました。

面倒くさがりの私は、正直「え゛ー」と思っておりました。

ところが!

んまぁ~、セリフを思い出すので手一杯!

「スタニスラフスキー・システムとは…」なーんて語るどころじゃございやせん。


タイムリミットは三時間!
たぶん、ほとんどの役者が想像する(であろう)、あの悪夢……「自分のせいで、この芝居がダメになる…かも…。」ってヤツ。
ひゃ~~、ひぇ~、ひょ~、その事態が目の前に!
3時間後に!!

「こりゃ~いかん!どうしよう!」
内心あわてふためき、真っ青。


アニシモフ氏いわく、
「芸術は、それを正しく行わない者に復讐する。」
…まったくその通り。
演劇芸術に、怠慢と慢心は許されないのです。


三時間で何が出来るか、必死で考えました。


いつも、どんな調律をしてただろう…んー、なんだっけ?混乱してる。

「落ち着こう、とりあえず深呼吸。」
深くゆっくり吐いて~、吸う、ゆっくり吐いて~、吸う……
…いか~~ん!これだけじゃ解決しない!!

具体的に何をすればいいのか!?


その三時間のことを、思い出してみます。


①まず、自分の現状をうけいれる。
…見栄やプライドが邪魔をして、なかなか素直に自分の゛ダメダメ゛さを認められないものです。
ダメな理由を自分の外に見つけたり、言い訳を探したり…。

②台本に立ち還る。
…この場面は《どんな状況》なのか。
《何を》《何のために》やっているのか…。
…《誰と》《何を》《なぜ》しゃべっているのか。
戯曲のラインから離れて答えを見つけようとすると、必ずや、後になって矛盾に悩まされます。

③眼だけを動かす(私の場合)。
…眼を見開き、眼だけをあちこち動かして、周りを見る。
これなに?と思うでしょうが、どんな効果があるか、よかったら一度やってみてください。
大切なのは、見えたものをしっかり捉え、観察・認識すること。


④《交流》について。
…自分はこれから、ここにいるみんなと、そして舞台では、目の前にいる生きた相手の考えや気持ちと《交流》するんだという、当たり前のことを言い聞かせました。


そうしたら①に戻って、《謙虚な気持ち》を失っている《現状》に気づきました。
認めざるを得ない。「ヤバい、オレってぜんぜん゛ダメダメ゛じゃん。」
セリフどころか、戯曲のことも、システムで学んだことも、なんにも準備が出来てない!


というわけで、再び②③④…と巡り巡っているうちに、戯曲に新しい発見をしたりして、面白くなってきて、ご褒美に《キャラクターの種》が降りてきました。
(この、面白くなるというのが大事なんですなぁ…きっと)


三時間をざっとまとめると、

☆戯曲に立ち返ること。
☆スタニスラフスキー・システムを、正しく活用すること。
☆謙虚さを取り戻すこと。
…だったのでしょう。


アニシモフ氏いわく、
「俳優が、いかに怠けたがりの性質を持っているか、よ~く知っています(笑)。」

…はぁー、御明察。


日々の努力(ほんの少しずつでよいのです)を忘れた者には、いかなる奇跡も訪れない。
そして《謙虚な心》で。
…すぐに失くしちゃうんです。まったく、自分の器の小ささを思い知らされます…。


今回は(も)、つくづくスタニスラフスキー・システムに感謝……そして、反省…………。


では、また…
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