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2009-02-22(Sun)

ちょこちょこっとした話 6

ちょこちょこっとした話 6
 
 『こんな〇○に、誰がした?』
 
 チェーホフを知ってますか?
  来年、生誕 150年 だそうです。
  ~いつでしたか、『かもめ』を見に来たお客さんに、 「チェーホフ作品なのだから、あんなに笑ってはいけないのでは…。」
との、ご意見を受けたことがあります。
  ワカリマス!!  そうなのデス!!  なぜか、
 
 
 チェーホフ=名作=難解……
 
…つまり、ムズカシイ、真面目な芝居だ!といったイメージがあるのです。
 
 
 全世界に、その傾向があると聞きました。
 
  私も、チェーホフの芝居を見る度に、
 
 「なんてムズカシイ芝居だろう…」
 
と思ってました。
 
 (だって、暗くてドヨ~ンとしてて、内容がよくわからないことが多かったのです。)
 
 で、
 
 「さすが、芸術作品とは、ひと味違うものだなぁ」
 
と、首をかしげながらも「なるほど、なるほど」と自分に言い聞かせ、妙に感心していたものです。
 
 
  そこで今一度、戯曲を見ますと、
 
  『かもめ』…喜劇・四幕
 
 
 『ワーニャ伯父さん』…田園生活の情景・四幕
 
 
 『三人姉妹』…戯曲・四幕
 
 
 『櫻の園』…喜劇・四幕
  …そう、喜劇、情景、ドラマ、喜劇、と書いてあるのです。
 
  チェーホフ作品は、基本的に
 
  《喜劇》
 
なのです。
 
  チェーホフは自分の作品に、難解さ、真面目さ(ことに、小難しい、オカタイ芝居)などというイメージを与えてはいないのです。
 
  真面目というなら、
 
 「マジメ過ぎてオカシイ!この人、オモシロ過ぎだろ!」
 
…な登場人物が出てくるぐらいです。 
 
 『櫻の園』などは、抱腹絶倒のドタバタコメディーだそうな!。
 読む人が読めば、『櫻の園』はまるで吉本新喜劇!
…んー、松竹新喜劇! 
 
 私も、そう思います。
 
 
  いったい、なぜ、いつから、
  《チェーホフ=名作=ドヨ~ン=う~ん、難解!》  
 
 
の図式が定着したのでしょう?
  もちろん、戯曲全体を通して、非常に高い、優れた人間考察や哲学が語られることに異論はありません。 その点では、真摯です。
  しかし、それを語る人物たちは、まぁ~ナントモへんてこりんな、それでいてその辺りに、あなたのすぐ傍にいるような、そんな人達なのです。
  複雑なプロットも、謎めいたこともない。
 あっけらか~んとしたものです。
 
 
 それでいて、緻密な伏線とリアリティあふれる進行、絶妙のタイミング(ジョークも)に、キラッと光る人間哲学。
  それがチェーホフ。
  アントン・チェーホフ氏いわく、
…「もしも私が、優れたボードビルを一本書くことができたら、もうそれ以上、なにも書かなくてもいい。 私の願いは、私の書いたコメディーが上演された翌日、掃除係りが客席を掃除したら、弾け飛んだボタンが100個見つかること。
  笑い過ぎて弾け飛んだ、観客のボタンが100個。」 なんと素敵な願いでしょう!
 
  トルストイも、
 
「真の芸術とは、あらゆる人に、実に明快に理解可能なものでなければならない。」
と、言葉を残しています。
  チェーホフは、人間を愛し、その愚かさに釘を刺しつつ笑い飛ばして、
…で、観客も、笑って笑って、怒ったり、悲しんだり、また笑って笑って笑っているうちに、気がついたら泣いている。
  それがチェーホフ。
 
 
 小難しい、難解な戯曲だなんて…
 
  …『こんなチェーホフに、誰がした?』 なんてまぁ、『誰?なぜ?』は置いといて、たくさんの《チェーホフ本来の世界》が、私たちに開かれることを願います。
  私たち、東京ノーヴイ・レパートリーシアターも、そこに向かっておる次第であります。
  で、来たる3月1日、《チェーホフ氏》をテーマにした《アートサロン》を開催いたします。
  奮ってご参加下さい。
  詳しくは、ホームページをご覧下さいませ。
  今回は、宣伝入りでお届けいたしました。
 
 
  では、また…。
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2009-02-16(Mon)

ちょっとした話 17

  17 『マーロン・ブランドの演技論』
 
  遥か昔、7、8年前になりますかな…。
  私が、初めてアニシモフ氏を見た日。
  氏を交えて、アメリカの演出家の方々と、俳優のためのシンポジウムが開かれておりました…。
  そこで印象に残った言葉があって、今でも覚えております。
  それが、『マーロン・ブランドの言葉』(今回は、アニシモフ氏ではないのですが…)
  マーロン・ブランド氏いわく、
 
 
…「私は演技などしない。反応するだけだ。」
なり。
 
  スタニスラフスキー・システムなど、ついぞ知らない頃ですから、
 
  「ほう、マーロン・ブランドはそうなんだな。」
 
 と、ただ単に思ったものでした。
 
  さて、『ちょっとした話』の、最初の頃に、
 
   《受容》《分析》《判断》《放射》→ 
 →《受容》《分析》……
 
 …のキャッチボール というのを書きました。
  マロ氏
 …「私は演技などしない。反応するだけだ。」
 の、《反応》とは、
 
 
 …すなわち《受容から放射に至る全行程》
 
のことです。
 
 《放射》というと捕らえにくいので、以後《行動》とします。
 
  《行動に至る》、すなわち《反応する》とは、
 
 
…《何かを受け取り、状況と突き合わせて考え、決断を下し、実行すること》
  漠然と感心した言葉でしたが、不肖わたくしめもスタニスラフスキー・システムなるものを少々かじり、
  「なるほど、そういうことかぁ。」 と思う、今日この頃。
  そして、2、3年前に、マロ氏の言葉に少し付け加えさせていただきました。
 
 …「私は演技などしない。《正しく》反応するだけだ。」
   『正しく』
 
  ただただ《反応》すればよいのなら、そりゃあ天文学的な数の《反応》ができます。 私たちが歩むのは、創造的芸術の道。 そこにあるのは、総合芸術。
  作家がいて、戯曲があり、俳優がいて、演出家がいて、観客がいる。
  無茶苦茶に、いい加減にあいまいに《反応》すれば、意味も感情も失われてしまうのです。
  作曲家のストラビンスキー(でしたか…)いわく、
  「芸術における《自由》とは、制限され、監督され、加工されてこそ、輝きを増すものである(でしたか…)。」 なるほど演劇芸術には、作家が示した《提案された状況》というものがある。 演出家が示す《方向》がある。
  そのような影響の基に、《反応》は制限され、監督される。
 
  しかしですな、制限を受けたところで、《反応》が天文学的な数であるのには、変わりありません。
  なぜなら、人間(俳優)の数だけ、個性の数だけ、ほかの誰にも真似できない《反応の現れ方》があるからです。
 
 いえいえさらに言えば、そのような《状況》や《方向》、すなわち《正確さ》を与えられることによって、意味と感情が開かれ、俳優は《自由》を獲得し、作品は輝き出すのです。
 
 (だって、なんの理由も情報もなく、いきなり「はい、なんでもいいから今すぐ自由に反応して!」な~んて言われても、動けません。)
 
  創造的《自由》は、ある条件の元に置かれ、ある方向性を確信した時に、個性に応じた現れ方をするのです。
  それを《正確さ》と呼びたい。
  ですから、戯曲の分析を丹念にやりますし、いろいろなやり方で、舞台上で《自由》になるための訓練をするのです。
  《正確さ》を追求して……。
  …「私は演技などしない。《正しく》反応するだけだ。」…
  …く~っ!、いつでもそれができたらなぁ~。
  では、また…。
2009-02-07(Sat)

ちょっとした話 16

16 『驚き』 アニシモフ氏は、
  「(日本語で)驚き!」 
 
と、よくのたまいます。
  つまり、もっと「驚け!」と、まぁそのまんまなのですが。
  そこで、またまた生活を観察してみると、まぁ~人というのは、よく驚いていること。
  「えっ?」「あら~」「まぁ!」「ほんと?!」「まじ?」「うっそー!」「げっ!」「ほほぉ~」「なぬ?!」…
…反応を数えたらきりがない。
 
 突然の愛の告白、くじに当たった、石っコロに躓いた、一番星を見つけた…などなど。
 
 
 びっくりもうれしいも、悲しいも残念も、おおよそ心が動く時は、ある種の
  『驚き』
 をともなっているものです。
 
 電車でも街中でも、しゃべってる人達はもちろん、たまたま周りにいて聞いてる人達までも、
 「あら~」「へ~」「ほ~」、中には「フン!なによ、それ。」
 などと、様々に『驚いて』います。
 
  わざと『驚き』だけを使い 
…つまり、全ての会話をおおげさに、驚いたように喋るリハーサル(稽古)を試すことがあります。
 
  目を大きく見開いたまま、背中をのけ反らせたまま、両手を拡げた、そのままの身体感覚を維持して会話してみるんですよ!
 
 
 ちょっと見たところ、やり過ぎのデフォルメ稽古。
  バカバカしいような、マンガみたいにもなりますが、やってみると、実におもしろい!
 
 
 『驚き』を通して、『無邪気』(これは重要なので、別の機会に)が引き出されます。
本番の舞台でそんな芝居をしたら、
 
 「客を馬鹿にしとるんかい!」
 といわれますかな?…ますね。
 
 
 もちろん本番ではやりませんけど……
ちょっとやっていいかも……
うん、やるべきかも。
 
 
 ま、とにかく、事実、生活の中に『驚き』が満ち満ちている以上、その感覚を捕え、経験するのになかなかよいトレーニングです。
  わざと驚いているうちに、
 何に驚いて(心が動いて)いるのかがわかり、
 会話の内容がクリアーになったりします。
  《感情》までやってきて、笑いながら泣いたりすることもあります。
  一度、台本を驚き通して読んでみてはいかがでしょう。
  知性(頭)で読んではわからない発見があるかも。 では、また…。
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