--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-06-18(Thu)

ちょっとした話 23

23、 『調律』
 
  アニシモフ氏いわく、 …「心の小鳥を自由に飛び立たせなさい。」…
 前回、舞台に出る前に、自分自身を『調律』する話を、チラッと書きました。
 
 今回はその 
 
   《調律》
 
 について。
 
 
 …小鳥を解き放つ…
  具体的にいうと、 「まず、鳥かごに入った小鳥をイメージする。
 「次に、かごの扉を開ける。
 「そして、小鳥を大空へ飛び立たせる。」
  …まぁ~そのまんま。
 要は、心を《軽く、高く》、子供のように自由で無邪気な状態に! そのようなビジョンが、俳優の《神経系》に良い影響を与える、
 …と言うのです。
 
 
 《調律》の仕方は、様々でしょう。
  東京ノーヴイのみんなは、どんな風に《調律》しているのか!?!? ☆発声練習。 「あ~~~、アエイウエオアオ~…。」と、聞こえてくることがあります。 最近は、アニシモフ氏も呼吸法を皆に授けたりしています。
  ☆歌 稀に…ですけど。
 演歌、フォーク、ニュー(?)ミュージックを中心に、基本は“歌いたい唄”を歌っているようです。 ☆…さて、《心の調律》はどのように…
 アニシモフ氏いわく、
…「自分の信じる《神様》《こころの師》を、思い浮かべる。 「提案された状況、人間的な課題、考えのライン、超課題、ビジョン、交流などについて思い巡らせる。 
  「キャラクターの《種》をちょっとやってみる。 「『よりよりよりより』について考えてみる。」 …などなどなどなど。
 精神面から実践面まで、俳優の《心》を自由に解き放つため、さまざまなアドバイスをして下さいます。  私めは、
 以前は、
 
 楽屋から劇場全体の天井が、神聖な光で充たされてるのをイメージしたり、
 
 いろんな手の組み方でもって祈ったり、
 
 呼吸で精神を落ち着かせたり、
 
 キャラクターをやってみたりしてましたね。
 
 最近は、
 
 《神様?…師》に、「助けて下さ~い。感謝しま~す。」 と祈るのは相変わらず(まったくの、苦しい時の神頼み!)。
 
 
 楽屋にいるみんなを見渡して、
 「あぁ、抽象的な《役》とではなく、今ここにいるこの《みんな》と《交流》するんだなぁ。」
 と考えたり、
 
 
 「ステージでどんなことが起こるのか、どんな展開になるか、先のことなんて、わからねぇ!」
 と、自分に言ったりしています。
 
 
 
 マザー・テレサの写真、星の写真、チェーホフ、スタニスラフスキー、宮澤賢治…などの写真を見る人。 
 
 ぎりぎりまで台本を見る人。
 
 
 ヘンテコ……いや、独特な運動をしている人。
 
 
 なぜか、《芸術の神様》だか《天使》に
 「スミマセン…」と、謝っている人。
 
 
 …ホントにさまざまですねぇ。
 
 
 
 ~つまり、
 
  《知性》
 
 が《頭》を使って仕事をしようとするのを、なんとか抑え込み、 
 
  《潜在意識》
 
 が《こころ》を使って仕事できるように、
 
  《調律》
 
 するのです。
 
 
  舞台に出る前に、俳優は、自分のことを考えがちです。 「どんなふうに演じようか、観客に気に入られるだろうか。ウケるかな?うまく演じられるかなぁ~。」  なーんて、 考えてしまうのです。
 
 《知性》は、そのように働きます。
 
 
 
 芸術は、《潜在意識》の分野。
 
 
 《知性》の計算によっての“奇跡”は起きません。
 
 
  《調律》によって《潜在意識》に入って行かなければ、
 
 スタニスラフスキー・システムの教え、 
 〈もしも私が、今ここで〉
 
 による“奇跡”は、
 
 まるで枯れ葉のごとく、“ちっぽけなエゴ”という北風に、ピョー~ッと吹き飛ばされてしまうのです。
 
 
 正しい、有効な《調律》の仕方。
 
 これまた、何年もトレーニングして、 
 
 必ず! 身に付けなければなりません。 あ、プラス思考で… 身に付ける《権利》があるのです。 なぜなら、私たちは
 『ペレジヴァーニエの芸術』
を学んでいるからです。 では、また…
スポンサーサイト
2009-06-04(Thu)

ちょっとした話 22

22、『繰り返してはならない』 アニシモフ氏いわく、 …「同じことを繰り返してはならない。」
 
 
 
 舞台で、毎回、新しく『生きろ』
 
 前にやった演技を『繰り返すな』
 ということ。
  スタニスラフスキー・システムの教えのひとつです。 《教え》と言うと、なんかカタイですね。 《考え方》と言ったほうがいいのかな。 いわく、 …「この世界には、何一つ《同じもの》は存在しません。
 
 「自然を見てみましょう。 例えば葉っぱは一枚一枚、ぜ~んぶ形や模様や色が違います。」 ~すなわち
 
 この宇宙で、全く同じ(寸分たがわぬ)ことが起こる、繰り返される、
 …なんてぇことはあり得ない。
 これ《法則》、という考えです。
 
  先週と同じ芝居、同じ役をやるとしても、
 …その日のお天気、俳優の状態、何よりお客さんは全く違う人々で、雰囲気も違う。 相手役とのやりとり、タイミング、声の感じ、その時考えていること、ちょっとした動き…
 …などなど、細かいところも何から何まで、再現してみようとしても、たしかに …うん、不可能
です。
 
 人の感情までをも撮しとる、三次元立体ビデオの再生でなけりゃ、無理。
 
 観客も含めて撮影しないと、再現はむりかな~。
 
 (しかしなぁ、俳優も観客も撮影済み、そんな記録ビデオの上映会って、なんの意味があるんだろう。)
 
 
 もし、生身の人間にできるんなら、ある意味、神業。人間業ではありませんね。
 
  スタニスラフスキー・システムが、自然(宇宙?)の法則にのっとっている限り、
  『繰り返し』
は、そこからズレているワケです。
 
 
 なにはともあれ、繰り返しの演技って、
 俳優にとっても、観客にとっても、 《面白くない!》 舞台上で、居心地の悪さを感じます。
 
 結局、全てが《自動的》なので、《考えや心》がカラッポで、な~んか
 
《自分を騙している、ごまかしている》
 
カンジがするのです。 
 
 
  同じことの『繰り返し』(=自動的・オートメーション)は、人工的な生産システムで活かされればよく、 《心・魂・感情・意識・人間》に関わる芸術的な創造の場には、全くふさわしくありません。
 アニシモフ氏いわく、 …「スタニスラフスキーと共に、モスクワ芸術座で活躍した演出家、 ネムロヴィチ・ダンチェンコは言っています。 『スタニスラフスキー・システムの最高域は、インプロヴィゼーション(即興)である』 と。」 ロボットのような繰り返しの演技に、人間的な、芸術性の高い即興が生まれるわけがありません。 とっころが~! 繰り返しちゃうんですね~、俳優って。 ナンデでしょうね~? そのたびに 「シュタンプ(スタンプ・ハンコ)!」 というアニシモフ氏の〈檄〉が飛びます。
 スタンプ… …《判で押したような芝居》
 
 そりゃ、つまらんですな。
  …同じことをなぞってるだけの芝居
 …どこを切っても金太郎飴
 …何度切っても、おんなじ形、おんなじ色、おんなじ芝居
 ……大根◯◯…
 
 
 おお!NO~!
気をつけましょう。 では、また…
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。