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2008-11-21(Fri)

8、『観客が見に来るもの』

アニシモフ氏いわく
…「お客さんは、劇場に何を見に来るのでしょう?」

え、そりゃ、お芝居…だろうけど、なんか違うのかな?
ストーリー展開?役者?…って、美男美女ばかりではあるまいし。

 …「観客は、あなた方を見に来るのではありません。
 あなたの中にある『ビジョン』を見に来るのです。」

 『びじょん』…

演劇芸術は『追体験の芸術』と、以前書きました。

 いわく
…「『考え』や『感情』があるところには、必ず『ビジョン』があります。」

フムフムなるほど、私事ですが高校の時、反抗期だったのか、これといって理由もなく、一週間ほど母親の作った弁当を拒否したことを思い出します。
なんだかかわいい反抗ですが、母親のショックは物凄かったろうと思います。
 
口も利かない自分。通学の自転車。揺れる柿の葉。玄関に置き去りの弁当。陽射し。歯を食いしばった母。正座している母。うつむいている母。扉の音。
 
映像とともに、音、匂い、風、皮膚感覚…いろんな記憶が蘇ります。
 
同時に、感情や考えも蘇ります。
「ムッときた、悔しい。はらがたつ。」
 ~から、『混乱・困惑』…「恥ずかしい、申し訳ない、オレ何やってんだ?どうしたらいいのだ。」と、変わったのも思い出します。
 この出来事を思い出すたびに、なんか言葉では言えないけれど、キューっとなったり、肩が下がって腰の辺りが伸びて、目頭がジンとします。
「かあちゃんゴメン。」と、つぶやいていたり、あらためて恥ずかしくなったり。

これ、私の『追体験』なワケです。

記憶ですから、忠実な再現とは言えませんが、かなり細部まで覚えており、強く心に焼き付いた部分は、他の部分がぼやけるのとは対照的に、そこだけ鮮明度を増すことも。
 
~俳優は、『戯曲の提案された状況』の中で、自分自身の似たような経験を思い出します。
これ、『ビジョン』を見るに外ならない。

俳優個人のリアルな『考え・感情』を通して、作者の『考え・感情』が現れるのです。
 
 
アニシモフ氏いわく
 …「『感情』とは、人間が自ら作り出すことの出来ないものです。
それはただ、やってくる(降りてくる)ものです。」

どうやって?

…「あなたの個人的体験の『ビジョン』を通して、思い出し追体験することによって。」
 
 なるほど、「恥ずかしさを表現しろ。」と言われても作れるものではない。
 あの母や弁当を思い出すと、キュンとなったり恥ずかしさを感じるものな。
 
 いわく
 …「観客もまた、俳優の見る『ビジョン』を通して自らの『ビジョン』を追体験し、泣いたり笑ったり、怒ったり考えたりするのです。」
 
 にゃるほど、私の体験談から、似たような経験や反抗期のことを思い出した方がいるかも。

 いわく
…「観客とは、実に優れた人々です。
 俳優の中にウソが見えたらすぐに気付きます。本物の感情が見えたら、あなた方に夢中になります。
…「つまり、観客はあなたを見に来るのではありません、あなたの中にある『ビジョン』を見に来るのです。わかりますか?」

…「俳優の仕事。それは『ビジョンを見る』こと。そして相手役に自分の見ているビジョンを『見させる』こと。」

 
ここでお気に入りのフレーズ。
…「(日本語で)ミサセル、ミソシル!見させる、みそ汁!見させる、みそ汁!…(チョーご機嫌)。」

われわれ
…「また、言ってるよ。はいはい、わかったわかった…」

では、また…。
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テーマ : 演劇・劇団
ジャンル : 学問・文化・芸術

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