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2010-04-06(Tue)

ちょこちょこっとした話 11

 11、『チェーホフがいてくれた』


きたる6月、『国際チェーホフ祭』が催されます。

日、露、米、韓などの国々、演劇、ダンス、落語、講談などのさまざまな分野、いろいろなスタイルを交え、垣根を越えたフェスティバルになるようです。


そのキャッチコピーが

『チェーホフがいてくれた』


3年前、東京ノーヴイで開催したチェーホフ・フェスティバルのタイトルは、
 
『知恵豊富』祭


そのと~~り!!


人生の時々で、チェーホフ作品の中に込められた豊富な《知恵》が、私たちを助けてくれたのです。

 
助けは、いろんな形でやってきましたが、そのほとんどが、《気づかせてくれた》ことだったような気がします。


 
ワタシを直撃ヒットした一つが、『三人姉妹』のベルシーニンのセリフ。


かいつまんで… 
 
…「私は大学には進みませんでしたので、本を選ぶ術を知りません。
ですから、きっとくだらない本ばかり読んで来たのでしょう。 
それでも、歳をとって少しずつ世の中のことを知れば知るほど、あぁ、私は  
 《ほんとに僅かのことしか知らないんだなぁ》 
 と、痛感させられます。」


ビシ~ッ!と来ました!

 
 考えずにはいられません。
 
 
…私事ですが、競争に勝つよう、教育を受けてきました。 
 (案外、思い当たる方がいるのでは?) 
 
 
 「1番を目指さなければならない。偉い、りっぱな人にならなければならない。」
 
 
…そしていつのころからか、
 
「知りません・わかりません・できません」

と、簡単には言えないような性格を、身につけた気がします。


 
まったくねぇ、…今から思うと、なんであんなに意地を張ったのだろうかと、赤面するような、懐かしいような思い出がたーくさんありますよ~。

 
 
「オマエはわかっていない。」「いや、わかってる!」
「知らないじゃないか。」「いや、知っている!」
「出来ないだろう?」「いや、出来る!」…

…「オレには天からもらった才能があって、世の中のことはわかっている。なんでも出来るはずだ~。」
 
 
…《ある確信》に満ちて、こんなやりとりをしたものです。
 
 
どんな《確信》? 
 
 
 …おそらく、他人に勝たなければならないという《考え》が絞り出した《妄想》だったのでしょう。
 


なにしろ《確信》ですからね、我ながらタチが悪い(笑)。

「オレが正解だぁ~。」 
どうにも譲れない…。

 
 
もちろん、間違ってきましたとも! 
 世の中のことなんてわかっちゃいないから、い~っぱい失敗してきたんです。 
 
ほとんど失敗と言ってもいい。
 
 
でも、認められない、認めたくない。

 
 屁理屈でもなんでもいいから、自分を正当化していました。
 

 恐怖心……怖かったんですねぇ、バカにされるのが、笑われるのが。
親を含め、周囲からの評価が欲しかった。 
 
 
 強迫観念……期待を裏切ってはならない。 
 褒められなければならない…。
 
 
怖いのは、その全てが無意識だったこと。

 
 自分に問い直す回路を、どうしても開くことができなかったんです。

 
 
 やっかいなことに、この《確信》は段階を経て進化します。
 
 
 《できる》→できない
 
 →《そんなはずがない!》→ホントはわかってない
 
 →《自分は、やってる》→結果が出ない
 
 →《周りが間違っている》… 
 
 …ついには、「なぜみんな、私のことを評価してくれないんだ~!」
 
 …ま、なんという、ちっちゃーいエゴイズムでしょう。
 
 
 
 口では、言ってたんですよ、
「他人に勝つのではなく、自分に勝たなければならない。」

 
でも、それがどういうことなのか、実感はなかったわけです。

 
《勝つ》のではなく、《克つ》のだ(日本語ってスゴイ)ということを、実感できてなかった。


 
スタニスラフスキー・システムでは、そこは絶対条件です。

 
今の自分と正直に向き合って《受け入れ》なければ、先には進めません、全く。

 
頑固に自分を変えられない俳優ほど、時間がかかります(かかった~)。


が、やがて、正直に自分に耳を傾ける時がやってきます。
 

そして、

 
「あぁ~、オレって、ホントにな~んにも知らないんだなぁ。出来ないんだなぁ~。」

 …あぁ、実感。
 

 
今度は違う《段階》を経て、意識が動いて行きます。

 
スタニスラフスキー・システムを通して→

→未熟さを《認め、受け入れる》
 
 
チェーホフなどの優れた作品を通して→

→人は、《知らない、わからない、出来ない》と言っていいんだと知る

 
さらに、

 
《知らない、わからない、出来ない》→ 
 
 →それは《素晴らしい、面白いことなんだ!》と、実感する。
 
「世界は《未知》で溢れているんだ!!」 

 
すると、すご~く楽になったのです。

 
俳優修行だけではなく、日常生活までが! 


 
田口ランディさんが、『神様はいますか?』という本で、

《わかりあえる》
 
と思っているあいだは苦しく、

《わかりあえない》

のが基本だと悟った時、すごく楽になったと、書いてらっしゃいます。

 
似ている気がする。 

 
《わかりあえるはずだ》
 
 という考え方には、相手に対する《要求》が織り込まれていますから。

 
例の《確信》も、最後には、「なぜみんなわかってくれないんだ~。」という、同じ《要求》へ行き着くから苦しかったんですねぇ。
 
 
生前、赤塚不二夫さんが、
 
「自分が一番バカだと思っていればいいんですよ。」

と、おっしゃってました。
 
真意はわかりませんが、なんだかスーッと心に入って来るんです。

「これでいいのだ。」
 
 
チェーホフは、“数えで43歳”のベルシーニンに、

「僅かのことしか知らない。」

と、素直に語らせました。
 
スタニスラフスキー・システムは、

《わからないこと、出来ないこと》

は、恥でもなんでもなく、《可能性》であり、《楽しみ》だと教えてくれました。


 
そして今、《ほんとうに大切なこと》は、ほんの少ししか知らないし、出来ないんだなぁ~と、実感しています。

 
そして、少しずつ人間らしい目が開くかもしれないと、楽しみになってもいます。


まさに、 
 
『チェーホフがいてくれて』

よかったです。


 
 長々と、告白めいた話にお付き合い、ありがとうございました。
 
 
国際チェーホフ・フェスティバルについては、HPをご覧ください。


では、また…。
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